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【SDGsインタビュー】(前編)愛と個性と多様性が溢れる不思議なレストラン(障がい者福祉施設)「らんどね 空と海」の物語

東京から電車で揺られること約1時間30分、千葉県船橋市に思わず時が経つのを忘れてしまうかのように心地よく、ついつい長居をしてしまう不思議なレストランがある。

”らんどね 空と海”である。

「らんどね 空と海」は障がい者福祉サービス事業所「空と海」の飲食部門で、施設の利用者の方がホールスタッフを務める。今回はこのレストラン「らんどね 空と海」で絶品イタリアンを提供する藤田承紀(よしき)さんに「らんどね」を舞台にした「食×福祉」の世界について話を伺った。

■プロフィール:藤田承紀。「らんどね空と海」シェフ
イタリアでの料理修行後に帰国し、野菜を育てる「菜園料理家」として活動。2014年、妻がビーガンである事をきっかけに、ビーガンイタリアンの創作を開始。以降、料理教室、ケータリング、メニュー開発等、アレルギーやビーガンや宗教食に対応したメニューを開発、提供。「らんどね空と海」でも、あらゆる食事制限に対応。また、カカオ豆の皮を手でむいて作るチョコレート、地元船橋の梨の古木の廃材を使った薪窯で焼いたピッツァ、石臼で手挽きする小麦粉、手で混ぜる麹等、時間と手間をかけられる福祉施設ならではの長所を生かした店づくりが行われている。

福永夏輝(以下、福永):らんどね空と海に一歩足を踏み入れた時から不思議な心地よさを感じています。どのような経緯を経て「らんどね」でシェフをすることになったのでしょうか?

藤田承紀(以下、藤田):実は僕、始めは料理の仕事ではなくダンスのお仕事をしていました。そんなある日、半月板を損傷して踊れなくなってしまったのですが、その時にリハビリを進めてくださった先生がすごくナチュラルな方で「歩けば治る」と。

福永:歩けば治る

藤田:はい、半月板を損傷し、どの病院に行っても、手術をしないと絶対に歩けるようにならないと医者に言われていたのですが「歩けば治る、あとは食生活を治せ」というような先生で、その先生との出会いがきっかけで食と出会いました。

そこでなんとなく食生活に気をつけて怪我したところを冷やして歩くようにしていたら本当に治ったんですよ。三ヶ月後にはもう踊ることができました。

福永:イタリアへ行くことになったのはどのような経緯だったのでしょうか?

藤田:リハビリ中に「どうせなら世界遺産を見ながら歩こう!」と、イタリアへ行くことにしました。航空券だけ買って現地で知り合ったイタリア人の家に泊まっていたんですけど、そのリハビリ期間中にイタリア料理を大好きになりました。

イタリア中を旅しているうちに僕のいとこがイタリアにいるということが発覚して、イタリア人と結婚してイタリアに20年くらい住んでいる、と。それで会いに行ったところ、僕のいとこのイタリア人の旦那さんもダンサーさんだということが発覚して、ここでご縁が生まれて、日本に帰ってからもまたイタリアに行くことになりました。

体を壊したら踊れなくなったのと同じように、料理も食材を知らないと意味がないということが胸の中にあってそれで畑をやるようになったのはもう少し後の話なんですけど、イタリアでのリハビリを終えて日本に帰国後、ご縁あって料理研究家のアシスタントの話を頂きました。

食の仕事をしながらダンスの仕事もする、そんな生活が1年くらい経ったある日、師匠から「そろそろ料理コンテストに出てみない?」と提案がありました。エル・ア・ターブル(現、エル・グルメ)という、若手の食業界人が出場するフードバトルのようなものだったのですが、なんとそのコンテストで優勝してしまったんです。コンテストが投票制で、友達がたくさんいたからという理由で…。

福永:なんと、初出場で優勝してしまったんですね! 

藤田:はい、これはまずい、いつかボロが出るということでイタリアに1年間料理修行へ行きました。

福永:ピンときたら飛び込んでしまう、その藤田さんの行動力がすばらしいです。イタリアでの修行後、どのような活動をしていたのでしょうか?

藤田:イタリアで1年間修行をして日本に帰ってきて子供達にダンスレッスンをしているときに「お弁当持っておいでよ」と言って子供達が持ってきたのが全員お菓子だったんですね。

ダンスの時に食べるものがお菓子、これはちょっと大丈夫かな、と心配になってしまって。そのことがきっかけでイタリアから帰ってきた時にレストランでシェフとして働くのではなく、家庭の料理にアプローチする料理研究家として活動することを決めました。

そのことをイタリアのシェフに話したら「星付きのレストランで働いていたのに、なんで料理ジャーナリストみたいなことをするのか、、、いいところのレストランであんなに頑張ったのに」と怒られてしまいましたけどね(笑)

福永:その後いよいよ藤田さんの料理研究家としての道がスタートするんですね。

藤田:いや、実はその後「レストランにいても本当の旬がわからない」ということで畑からやろうと思い、一度料理の仕事を辞めました。畑を始めるにあたって自然農というキーワードが気になっていたので山梨や茨城などで自然農をやっているところを調べてみたけど情報が見つからない。

そこで試しに僕が船橋に住んでいたこともあって「自然農・船橋」で探してみたら見つかって。すぐ近くにあったんですね。そこで飛び込みで自然農を始めたんですけど、そこのおじいちゃんが「自然農やってもいいけど、綿もやってもらうぞ」と。

それでなぜか和綿栽培と収穫をして、なぜか自分のおじいちゃんくらいの年代の人たちに糸紡ぎの講師として糸紡ぎを教える、と(笑)

福永:自然農を学ぶべく船橋の農家さんに飛び込んだのに、糸紡ぎのスキルがどんどん蓄積されていったんですね(笑)そこから、どのような展開があったのでしょうか?

藤田:船橋の農家さんで自然農をやっていてある日突然、このアトリエが建ったんです。「なんだ、このおしゃれなところ!」と気になったのと糸を使って織を学びたいと思っていたので「織教えてくれませんか?」とアトリエに飛び込んだところ、「糸を紡ぐことのできる人がいると聞いていたのよ」とお互いアンテナを張っていて情報交換が始まりました。

そんな中、「この辺りにレストランがなく、親御さんが施設にやってきた時にご飯を食べる場所がないのでこの辺りで飲食店を始めるときは協力お願いします」と言って頂き、ぜひ僕でよければ力になります、と。

僕生まれつき左耳が聞こえなくて、20歳くらいの時まで癲癇(てんかん)治療をやっていたというのも理由の一つですが、障害を持った方がもっとレストランを気軽に楽しめたらというのがもう一つの理由です。障害のある人ってレストランに行きにくいんですよね。僕の働いていたレストランでもほとんど見かけなくて。

福永:確かに、言われてみればレストランで障害者の方をお見かけしたことないですね。障害者の方は来てはいけない、なんて目に見えるバリアはないはずなのに彼らにとってはそこに心の障壁があるのかもしれませんね。

藤田:僕はレストランがすごく好きなので、日常空間でレストランを楽しむということをさせてあげたいなと思って、森の中にカセットコンロを持っていってランチ会をしました。

その時僕が作ったミネストローネを食べた子が「こんなに美味しいものは食べたことがない」と泣いて喜んでくれたんですね。その時の経験は料理人としてすごく貴重な経験でした。

その後、この「らんどね」を建てる為の資金が捻出できる事が決定しました。本来この土地は、飲食店はやっていけない調整区域だったのですが、福祉施設という事で許可をもらえました。

また、地主さんからの許可は難しいと思っていたのですが、施設のみんなで道を掃除していたのを影から見てくださっていて「あなた達なら」と許可をくださいました。お天道様は見てくれてるんだなと、思った出来事でした。

福永:有名な宅配業者でさえ建設を許可されなかった、そんな場所で飲食をスタートできたことが奇跡みたいな話ですが、それもひとえに藤田さんとその周りの方々が積み上げてきた人望・信頼ゆえの許可、ということなんですね。

藤田:なので、ここでは「飲食店です」と大々的に言ったりグルメサイトで宣伝したりしません。言ってしまえば、「らんどね 空と海」のお客さまは福祉施設空と海を利用している利用者の方だからです。彼らがここを日中有意義に楽しく過ごせるような場所にしなければいけないので、ここを快適な場所にするということを一番に考えています。

あまりテーブルを置きすぎない、営業時間を長くしすぎない、予約制にするとか。土曜日なんかは何人か出たいと言って出てくれて、その子達なんかは営業中でも12:00にお昼食べたりします(笑)

お客さんを「アッ」を驚かせる必殺技を用意したい

福永:藤田さんは「らんどね」で様々な想いを持ってシェフをされていると思うのですが、障害を持った利用者さんと一緒に働く上でどんなことに気をつけていますか?

藤田:ここでもできることと考えていてはいけないんですね、障害を持ったこの子たちができないことが多いと考えてはいけなくて、ここだからできるというような考えでいたいと思っています。ここでもできるだとどこでもできるじゃないですか。

でも、ここだからできると考えていた方が色々とアイデアも浮かんできますよね。ピザも小麦からひいているよとか、大皿で料理を運んでくるよとか、エスプレッソマシン日本に一台しかないですよとか。

藤田:僕はここに必殺技をたくさん用意したくて。

福祉施設というとやっぱりどうしても「偉いわね」と言われることがすごく多いです。無意識に「助けてあげて偉いわね」という意味が隠れているんですね。多くの福祉施設が田舎とか人目につかないところに隠れてしまうことが多いのですが、僕は情けはかけられたくないという思いがあって、ここが素敵だから来たいと思ってもらいたいんですね。「ここだからできる」ということを積み上げていく。

スタッフが大皿で料理をドーンと持ってくるとか必殺技があると、福祉や障害を考える前に「わあ!」という良い驚きでボーダーラインを超えられるじゃないですか。世の中、人種差別、宗教や食事など色々ありますが、楽しいとか美味しいとかおしゃれというものは全部飛び越えますよね。

福永:ここで料理を運んでくるスタッフの方々の表情が活き活きと、そして楽しそうだったのもそういう藤田さんのちょっとした仕掛けが一つの理由だったんですね。

藤田:みんな福祉施設の方で、利用者さんと福祉施設の人が息を合わせてここをやっているということがすごく面白いです。もちろん、それゆえに試行錯誤してやっているというのもあります。

僕が「らんどね」の好きなところは、地に足がついていること、自分の目の届く範囲でできることです。すごく大きなこと、たくさんのことはできないですけど、間違いなく一歩ずつ前に進んでいけること。

今はインターネットとかで一気に情報が100得られますけど、それを解明するまでのプロセスをすっ飛ばす、なので情報量だけは増えていってなぜそうなるのかについてはわからないままですよね。

例えば、チョコレートなんてスーパーで買えば一瞬じゃないですか。でもわざわざカカオ豆を仕入れて、それを手で剥いて、石臼で20時間くらい挽いて、それを温度調整してチョコにしてなんて凄まじい労力じゃないですか、でもそれが心地良いんです。

らんどね 空と海 ホームページはこちら

SDGs インタビュー(後編)愛と個性と多様性が溢れる不思議なレストラン(障がい者福祉施設)「らんどね 空と海」の物語】ーに続く

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