【SDGs インタビュー】(前編)世界を農でオモシロクする、the CAMPus “校長”井本さん
SDGsが各分野に浸透してきていますが、その中で、食や一次産業にフォーカスした話題も多く取り上げられるようになりました。人類にとって、食べることは生きること。それを支える農業は、なくてはならない存在だということは、誰もが気づいていることだと思います。
日本でも、稲作が始まった弥生時代から、ずっと農家という職業が存在し、私たちの先祖の命を繋いできました。そんな農業は、現在では担い手が減少し、多くの課題を抱えています。今日は、世界を「農」でオモシロくする TheCAMPus 校長にお話を伺います。(インタビュアー:福永・執筆:高橋)
【SDGs インタビュー(前編):the CAMPus 校長井本さんと無限の可能性を秘める”農業”の出会い】
「危機感」から「興味」へ
– さっそくなのですが、井本さんが、数ある産業の中で、農業に魅せられたきっかけや、可能性を感じた部分はなんだったのでしょうか。
井本:一番最初に興味を持ったのは、妻ががんになったこと。その時に初めて「食ってなんだろう。こんなに身近で、かつ病気を引き起こす大きな原因にもなっているのに、なんでみんな食にこだわらないのだろう。」と思ったんだよね。僕自身もジャンクフード大好きで、食の探求とか言いながら「おいしい」という方向ばかりで「健康」という方向はあまり探求してはいなかった。
でも、そんなことがあり、自分なりにガンについて様々な文献を読み漁った時に、実は原因の半分は「食」なのではないか、というところに行きついたんだよね。さらには、「食」の原点は「農」にあるのでは、と…。そこからだね。農の現場がどうなっているのかな、というところに興味が湧くようになったのは。
– なるほど。大切な家族がきっかけで農の世界に入ったのですね。
井本:妻の闘病生活中に父親がなくなり…。実家はお米の兼業農家だったので、継ぐ・継がないみたいなことになってね。農業に興味を持ってきたところだったけど、農業をやっていくのは物理的に難しいので、地元の組合法人に「作ってもらえませんか?」と頼んだんです。そして知ったのは、その組合法人では「70歳が若手」と呼ばれていたこと。ここに若者を集めないといまに大変なことになるな、と感じたね。
そこで、もっと「農の現場」に若者たちが注目するような作戦を展開できないかと考えて、メディアを作ろうと思ったんだよね、それがTheCAMPusに繋がったの。「農」への興味は、可能性というよりは最初は危機感。だんだんと農の現場、農ビジネス、農ライフのようなものを学んでいった時に、実はそこで初めて「可能性」を感じていったんだよね。実はこれ、めちゃくちゃ面白いんじゃないかと。
この世界は高齢化が進んできて大変ではあるけど、捉え方によっては代替わりの時でこれから新しいビジネスが出てくるのではないかと思ったの。今はまだやっている人が少ないにしてもね。
「コンパクトな農業」の可能性
– そういった気づきは、井本さんの場合、アクションしていく中で出会った人々や地域から生まれるのですか?
井本:一番最初は「農業白書」だったんだよね。これからの農業を考える上で、今の農業はどうなっているのかは知っておかなければいけないと思って読んでみた。2015年のデータだったのだけど、それによると、どうやら農業で大変だ大変だって言っている人たちは、担い手はいないし、一人でひいひいやっている状況のようだと…。
でもそういう人たちって裏返せば、年商100万以下だったりするわけですよ。一方で、その当時、年商1000万くらいの人たちは8%しかいなかった。これを見たときに、その8%の農業を広めていけば、みんな面白い農家に変わっていくんじゃないかって思いついたんだよね。
– 年商1000万というと、大規模農家として農業をやらないと達成しないのでしょうか?
井本:いや、年商それだけ多いと、すごい規模でやってるんでしょ、って思われがちなんだけど、でも、全然違っていて。コンパクトだけど高収入で農業をやっている人が多かった。ここがSDGsに繋がるんだけど、これからのアクションの方向性として、「コンパクトであること」が大事ってことに気づいたの。コンパクトだけど高収入でやっている人は本当に格好いいよね。
「自然を生かす」という視点
– 少し気になったのですが、最近、テレビでも雑誌でも「アグリテック」みたいなものってよく取り上げられますよね。ああいった最先端の農業と、そのコンパクトな農業はどういった位置関係になるのでしょうか。
井本:今、確かに注目されているよね。でも、それは僕の考えるコンパクトな農業じゃない。なんでかっていったら、設備投資にめちゃくちゃお金がかかるのよ。
設備投資を回収するのにどれだけ時間がかかるのか、壊れたとき誰が面倒をみるのか…、それを考えなければいけないって、コンパクトとは言えないんだよね。逆にコンパクトを実現するために、少ない投資で農業できる「テック」が生み出されるのは良いと思うけど、何千万何億とかかるような農業はその先に、いつか何かしらのひずみが出てくると思うな。
– 現段階でも、すでにその歪みは目立ってきているのでしょうか。
井本:いや、むしろうまくいっているように見えていると思う。というか、確かに、悪い方向に行くとは限らなくて、僕がいっているひずみというのは、SDGsの観点から見た時に見えてくるものなんですよ。サステナブルな観点から見た時に、そのテクノロジーをどんどん磨いて行くことが持続可能性につながりますか?そういったところからね。
自然の力でできることってたくさんあると思うんですよ。自然の知恵や真理みたいなものをどう生かしていくか、というところが結構ポイントになってくると思う。
– そうすると、井本さんのかんがえるコンパクトな農業とは、自然の哲学・真理がベースになっている農業なのですね。
井本:そうです、僕はそこを探求したいというか…。もちろんテクノロジーの中で活かせるものは活かしていけば良いし、その例も見せるんだけど、あんまり大きくメッセージするわけでなく…
農業や農ライフって、「これが正しい」っていうのはなく、100人いたら100通りの哲学があるんだよね。だからいつも僕は、「そういうのがあるね、こういうのもあるね、じゃあ、あなたは何をチョイスしますか」という風に投げかけている。確かに、推奨するものは何パターンかあるけど、それで何をチョイスするかっているのは次の担い手の人がチョイスしていけば良いと思ってる。
だから、必ずしもテクノロジーが全部悪い、という話ではなく、どっちが良いくてどっちが悪いみたいな2極論ではないんだよね。その中に「自然を生かす」という視点が入っていれば、活かせることを活かせば良いし。
– コンパクトな農業はアグリテックと、完全に相いれないわけでもないのですね。
井本:そう。その上で、やっぱりテクノロジーの中にも持続可能性を探求する気持ちは必要だと思う。ダライ・ラマ14世が言っていることで、「人間はテクノロジーの進化を歩んできたんだけど、それは単に仏教哲学を実証してきているだけ」っていう見方があるんです。
最初は一体全体何のことを言っているんだろう、と思ったんだけど。仏教哲学って何だというのを一言で言い当てるなら、「超自然」なんですよ。すると、ダライ・ラマ14世は「テクノロジーの進化は自然な方向に向かっているよ」と言っているのかなと思って。つまり、テクノロジーの進化は、いつかは自然と一体化するんじゃないかな、っていうね。あ、これ、あくまで性善説的ないもっちゃんの考え方ね(笑)。
地球上にある全ての物質は、長いものにしても何万年かしたら自然には戻るわけで、そのサイクルがちょっとずつ短くなっていく、とかそういう方向なのか…。何れにしてもテクノロジーの進化っていうのは自然に寄り添っていくということなんじゃないかなと思うんですよね。だから、SDGsの向かう方向っていうのも一緒だと思う。「持続可能性って何なんだろう」というと漠然としているけど、僕らが磨いた知恵とか、人類の英知というものが地球環境と一緒になっていく、寄り添っていく…ようになっていったら良いんだろうね。
– 農業に関わっていく人が増えるということは、持続可能性な方向を意識する人が増えるきっかけのかもしれませんね。
井本:随分なると思う。ただ、その入り口は社会課題がどうこうではなく、例えば子どもが生まれたりとか、家族が病気になったとか、友達がなくなっちゃった…とかもっと身近なところで。そのときに「健康って何だ?安心安全って何だ?」という意識が生まれると思うんですよね。
今、テクノロジーは進化の真っ只中で、僕らはテクノロジーの先端にあるものに触れ続けている。今後、その進化の過程で、本当に自然と合体する瞬間もあるかもしれないよね。振り子の原理のように、テクノロジーの進化に対して、人間の心は反動のように自然を求め、進化が激しくなれば反動も大きくなる。…これは僕の持論だけど。
– とてもよくわかる気がします。
井本:農業を入り口に社会問題解決のムーブメントが広がっていった先に、気づいたらもっと地球にいいアクションや、それに思いをはせるというような大きな流れが生まれていくのかもしれませんね。