• ホーム
  • NEWS
  • インタビュー
  • 【SDGs インタビュー】(前編)世界を変える色をインドから、舐めても安全な絵の具の物語

【SDGs インタビュー】(前編)世界を変える色をインドから、舐めても安全な絵の具の物語

“身近なものからSDGsについて考える”きっかけを作る”SDGs インタビュー”

普段何気なく使っていて、気にとめたことなんてなかったもの、、、そう、例えば、誰もが小学生や中学生の頃に使ったことのある図工・美術の時間に使う”絵の具”。

今回は安心・安全にこだわり抜いた100%ナチュラルな絵の具、”やさいいろ”を開発したMaharanee Organic代表ラニーさんに”やさいいろ”が完成するまでのストーリーを伺ってきました!(インタビュアー:SDGs UNITED 事務局 福永)

■プロフィール:木村容子 Maharanee Organic Private Limited代表。 多摩美術大学絵画学科修了。社名がそのままあだ名になり定着(笑)

【SDGs インタビュー(前編):ラニーさんの紹介とインドに導かれるまでのストーリー】

福永:本日はSDGsインタビューをお受け頂きありがとうございます舐めても安全な絵の具の存在を知った時、私の中の常識がくるっとひっくり返されるような衝撃を受けました

ラニーさん:絵の具がそもそも安全かなんて、考えないですよね(笑)だって、絵の具ですから。発色の美しさ、安全性、使いやすさなどを、南インドの田舎で微生物研究者と7年。人にも地球にも本当にやさしくて、水に流しても、土に捨てても害が無い絵の具”やさいいろ”ができました。この絵の具は名前の通り、南インドの無農薬や有機野菜やハーブが原材料で、添加物や保存料も一切使っていません。

小さなお子さんがあやまって舐めても大丈夫です。

写真:舐めても安全な絵の具 “やさいいろ”とMaharanee Organicのマスコットキャラの愛兎ムクジ

夏輝:100%安全です!と言い切れる絵の具の開発、、、ラニーさんの並々ならぬパッションがひしひしと伝わってきます。ラニーさんは「ちいさなお子さんでも使えるような安心・安全な絵の具を作りたい!!!」という想いでインドへ渡ったのでしょうか?

ラニーさん:実は、最初から絵の具を作ろうと思ってインドに行ったわけではないんですよ(笑)もともと美術をやっていたのですが、私が美大生の時に教授に「美大に行ってるようなやつが環境保護をするようなメッセージの作品を作るな!」と言われたんです。教授から「お前たちの使っている絵の具がどれだけ環境に(つまり体にも、ですね)悪いか考えろ」と言われ、ショックでした。アート=環境に悪いのが当たり前、だなんて。でも、例えばですけど市販のチューブ絵の具なんかをちゃんと見てみると、実際に裏面に魚の死骸が浮かんでいる絵が書いてあるんですよね、見たことありますか?

夏輝:教授に言われた内容もかなり衝撃的ですが、、、死んだ魚の絵が絵の具のチューブの裏面に書いてあることも初耳ですし、全く気にしたこともなかったです。。。

ラニーさん:ですよね。そもそも絵の具が環境にいいかどうかなんて、基本みなさん気にも留めないと思います。死んだ魚が浮かんだような絵=水に流したらやばい。でもそういった色は、とても綺麗。今でもそんな絵の具は普通に売られています。水で薄めて流すだろうからまあ大丈夫だろ、って感じなのかもしれませんね。ちなみに私は美大でリトグラフという版画を専攻したのですが、インクを拭き取る手段はホワイトガソリンやシンナー(笑)となりの銅版画では松ヤニとか銅版を溶かす腐蝕液を使ってたりしていました。

写真:ラニーさんが住んでいたお部屋から見えるアラビア海の夕暮れ

写真:ラニーさんが住んでいたお部屋から見えるアラビア海の夕暮れ

夏輝:ラニーさんが美大生で作品制作していた時に、絵の具と環境を考えるきっかけと出会ったんですね。そんなラニーさんが、インドに飛び出そうと思ったきっかけはどこにあったのでしょうか?

ラニーさん:そうですね、まず、自分の子供が赤ちゃんの時に、赤ちゃんって何でも口に入れてしまう月齢があるのですけれど、えっ それ本当に口に入れても大丈夫なの?どうなの?と考えるようになったことがきっかけでした。安全そうなものを選んだとしても、メーカーは全ての情報を開示しているわけではないので。例えば、その商品を生産している工場がわかってもその原材料の産地が書いてなかったりが普通なのです。本当に安全で安心できる絵の具、あったらいいな。でも、ないな。。。作れないかな。。。と思うようになりました。

もう一つ大きなきっかけとなったのは2011年の東日本大震災でした。今まで私は絵描きとしてやってきていたけれど、絵は震災で被災した人たちを助けたりすることができない、人の心を動かすことができるかもしれない他は、何も変えられないと思ったんです。絵描きとして誰か一人のための1枚を描くのではなく、残りの人生を、たくさんの人に使ってもらえたり、何か世の役に立つものを生み出したいと考えるようになりました

夏輝:子供のことを考えるようになったことと、震災の二つの要因がラニーさんのインドに飛ぶという決意に火をつけたんですね。

ラニーさん:インドに住む前にはアメリカに住んでいました。アメリカには夏になるとインド産の良質なオーガニックコットン製品がたくさん入ってきているんですよ。こんなの日本にあったらいいなあ。持っていけないかなあと考えていたり。そんな時に震災が起こり、とにかくショックでした。自分の残りの人生を、何か世の、人の為に尽くそうと心に決め、一か八かでアクションが起こせる可能性を感じたインドに飛び出しました。お子たち2人連れて(笑)インドなんて、それまで一度も足を踏み入れたこともなかったのに。無謀です。でも今思うと、インドの神さまに導かれた気がしますね。

SDGs インタビュー(後編):インドでの挑戦とラニーさんの想い】―に続く

SHARE